今般は、東洋経済新報社の記者である佐々木紀彦氏が、会社を休職してスタンフォード
大学大学院で修士号を取得した際の体験を基に書いた「米国製エリートは本当にすごいのか?」
という本を読んでみました。
本書は、タイトル通りの内容(米国製エリートの優れている所と、そうでもない所の解説)は
本書の4分の1位しか占めておらず、その他は、米国と日本、韓国、中国等との経済、歴史、
文化、国際政治の比較から、英語学習のヒントまで幅広いテーマカバーしている為、
米国製エリートの分析に特化した内容を期待していた人は「タイトルに騙されたっ!」と
感じるかもしれません。
しかし、本書では、各テーマの根底に、各国のエリート教育の比較という(細い)串が
一本入っており、また、記者を生業としているだけあって、指摘内容はなかなか鋭いので
(上から目線ですみません・・)、寝っ転がりながら軽く読み飛ばすつもりで購入したものの、
個人的にはなかなか勉強になりました。
本書の内容で心に留まった個所を、少し長いですが以下に抜粋しておこうと思います。
「教育は”秀才”をつくることはできても、”天才”をつくることはできません。
大学中退組のスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが良い例です。本当の天才は、
大学教育など受けなくても、天才たり得ます。むしろ、米国の大学教育の最大の強みは、
平均点以上の知的エリートを育てる点にあるのではないかと思います。
さきほど『上澄みの学生は日米でさほど差はない』と書きましたが、全学生の平均点
という点では、米国の一流大学のほうが断然上でしょう。
その最大の理由は『米国の大学はインプットとアウトプットの量がとにかく多い』という点にあります。」
「結局、人とは違う質の高いアウトプットを出すためには、
①の『よい知識と情報を入手する力』と③の『対話のスキル』を学ぶのが最も効率的です。
とくに、グローバル化やIT化により知識と情報の量は爆発的に増えているだけに、
玉石混淆の素材の中から何を選ぶのかが、ますます重要になってきます。
「いかに論理的思考力や計算能力に優れていても、その基となる知識や情報の質が低ければ
正しい答えは出せません。」
ということで、米国では、大量のインプット(読書)と大量のアウトプット(レポート、プレゼン、
ディスカッション)を大学・大学院で徹底教育されるので、知力の基礎体力が高まり、
その後の成長について、大学教育が緩い他国の学生と差が出てくると著者は主張します。
昔からよく言われることですが、「日本の大学は入学するのは大変だけど、卒業するのは
簡単で、アメリカの大学は入学するのは簡単だけど、卒業するのは難しい」というのは
今でもある程度事実のようですね(本書の内容だけでアメリカ全般を語ることは出来ませんし、
上記に当てはまらないケースも多々あるとは思いますが)。
私は、日本のエリート大学の教育内容については知りえませんが、少なくとも私が在籍していた
中堅の大学では、みなさん、高校受験まではそこそこ一所懸命勉強していたものの、
その後の大学生活はフリーターに毛が生えたみたいなもので、授業やゼミの選択にしても、
裏シラバスを入手して、いかに簡単に単位が取れて卒業が出来る方法が無いかを考えている人が
私を含めて大半でした。
米国でも、上記の考え方の人は多くいると思いますが、大学に入学すれば否応無く
ガツガツ勉強させられるシステムになっており、大学生もそれが当然と考えていて、
勉強にまじめに取り組む結果、いつの間にか高い基礎体力が身についているという感じなのでしょう。
私の昔の大学生活を振り返りますと、「なんてもったいない時間の過ごし方をしていたんだ」、
「現在のモチベーションがあれば、もっと違った大学生活を送れただろうに」と思うことも
ありますが、後悔先に立たずで、社会に出て初めて知る勉強の大切さもあるわけで、
また、少なくとも大学生活で読書をする習慣が身に付いたことは大きな収穫でしたので、
モラトリアル期間の4年間のブランクを取り返すべく、日々、精進するしかないですね・・。
P.S.
本書では、米国人の学生は、堂々と早口な英語で発表・プレゼン等をするので、最初は
圧倒されたものの、英語に慣れてきて良く聞いてみると、実は大した発言をしていないことに
気づく、等の記述もあり、「米国エリートもたいしたことないんだな(・∀・)ニヤニヤ」と思いたいが
為に本書を手に取る方の需要にも一定程度応えてくれる箇所もあります。
しかし、口頭・記述を問わず、アウトプット能力は高いに越した事はないので、
特に時間のある学生時代に、インプット量の増加と合わせて、当該能力の開発にも力を
入れおきたいものですね。